日本古学アカデミー

#00583 2019.3.13
生類の霊異(16) -狐(人語を解す事例)-

 


 石見国邑智(おおち)郡小原の素封家(そほうか)・林氏方へ、或る夜の深更(しんこう)に門の戸を叩く者がある、「誰か」と聞くと「大森から来ました」と答へる。「大森の誰からだ」と問ふと矢張り「大森から来ました」と同じ答へをする。

 大森町は小原から四里隔たって居り、そこには多くの親類や知己があるので、唯大森とばかり言ふのは変であると思ひ、主人が立出で密かに門の長屋の窓から闇を透かして見ると、人ではなく小さい獣が門戸の際に佇んで居るので、狐であらうと察し、再び家族をして、「どこから来たか」と問はせて見ると、矢張り「大森から」とのみ答へる。然るにそれを長屋の窓の主人が聞くと、門戸をコツコツと叩く音だけで、物言ふ声は少しも無いのだ。
 この狐は遂に窓から猟銃で射殺された。この狐の為したと云ふ人語は林家の各人に一様に聴かれたので、狐の暗示であるとすると実に勢力のある暗示だと驚かれる。

 明治十四、五年のこと、松江市字奥谷の根岸氏方にて、下女の袖(そで)と云ふが、いつも食物の残りを台所の戸外へ棄てゝ、野良猫や狐の食ふにまかせて居たが、冬日降雪の夕などは、寒さの為に戸外に棄てるのも怠ることがあった。するとその夜には狐が戸をトントン叩いて「そーでさん」と云うて呼ぶのが常であった。この事が不思議とされ、或る夜同家の人々が巧みにのぞき見をしてその詳細を知った。

 狐はまず前肢の先端で巧みに一つの雪玉を造った。而してそれを前肢で抱えながら、台所の戸の際へコロリと仰向けに転び、雪玉を二本揃へた後肢の先端に移して、小距離で忙しくそれを戸へ投げ当てゝトントン、トントンの音を発生させるのであるが、戸に投げつける雪玉は下へ取落すことなく巧妙に後肢の先端に受止められた。それから今度は、前肢を半ばどころで折り曲げて左右から交叉させる時に「そーで」と云ふ音が出る。それに続いて尾で強く戸を撫でるのが「さーん」と響き、三者が連接して「トントン、トントン、袖さん」となるのであった。
 これを見た根岸家の人々は舌を捲いて狐の智恵に敬服した。狐狸が人を呼んだり、言語を交へたりするのは、悉く暗示の法に依るものと想像されてゐたのに、この根岸家で演出された狐の人語は真正の音響の技術であるから珍奇である。

 狐の老甲なのは超官能で、事物を透察し又は人語の意味を解する力があると見られる実例は少なくないが、下の事柄などはその適例であらう。
 明治十七年の春、山陰・山陽方面は非常の大雪で、山地部落は至る所丈余の積雪に埋められ、鳥獣は群れを為して人里に避雪をしたが、その折りに備後国双三(ふたみ)郡三次(みよし)町附近に出て来て、寺院の床下に集った狐は何百疋とも数が知れず、多いのは一寺で五、六十疋以上、総数は三次附近のみでも千疋は下るまいとさへ言はれた。
 彼等は悉く食に飢ゑて居って、白昼に寺の台所へ押寄せる騒ぎであったから、三次町の人々も注意を喚起し、遂に町民一同の決議で、狐に焚出しをすることになり、各町で大釜に飯をたき、握り飯を作ったのであった。

 然るに、或る町ではこれに反対し、この大雪で食ふことの出来ない人間が沢山あるのに、それを救はないで狐を救ふと云ふ法があるものかとて、狐に焚出しするのを吝(おし)んだところ、その班(なかま)の受持った寺の狐は一疋もその握り飯を食はなかったので、人々は驚いた。
 狐に意地があるのは珍談であるが、この意地は一種の義である。人に憑いた狐が義理責めの説論に逢うて自殺的に死んだ話もあるから、彼等の中には話せる奴もあると謂はねばならぬ。

 大正九年の秋、出雲国仁多郡馬木村の糸原拾太郎と云ふのが、自宅から十町ばかりを隔てた所有の雑木山の頂上へ、狐を捕る為に頑丈な釣わなを仕掛けて置いた。その夜十時頃に、該山の頂上の方に方(あた)って、陰棲極まる高声で「助けてくれー」と云ふ悲鳴が、闇を破って山下の村落にまで響き渡った。
 この悲鳴に最も刺激されたのは、頂上から約四丁ばかり降ったところの谷陰に、小屋を構へて夫婦暮らしをして居る糸原方の山番であったが、夫婦は主人方へ逃げて来て、「あの声の凄さを聞いてはとても山に居れぬ」と言って震へて居る。

 糸原方の近所からも追々人が寄って来て助けに行くことになり、手々に械具(えもの)を携へ、山番を先頭に松明(たいまつ)や提灯で一同が頂上へ急いだ。悲鳴は依然として山々谷々へ響き渡って居るが、女の声らしく如何にも人々の腸(はらわた)に浸(し)むやうであった。
 糸原は自己が仕掛けたわなに人間が掛かったことを信じて心痛しながら、人々を乗越えて真先に頂上へ駆上った。見ると人ではなく、一疋の老狐が掛かって逆さまに宙吊りになりながら、ブランコ振りに左右へ八、九尺も揺れつゝ、脱出しようとし藻掻いて居る光景が火光に照らされて眼前に展開した。
 「狐であるぞ」と罵って人々が一斉に駆けつけようとする折りに、狐は幸運にも、わなから脱し得て地上に落ちさま、脱兎の如くに逃げ失せた。この狐の悲鳴が人語で助けを呼ぶ如く聴こへしことは、不思議だと皆々評定をしたと云ふ。

 狐の事ではないが、序でに書きたい事がある。五、六年前、一夜自宅にて訪客と囲碁をして居ると、宅前の河の下流半町ばかりの地点にて、若い犬のキャンキャン云ふ悲鳴が聴こえ出したが、次第に激しく凄くなって、遂には人間が早口に「嫌だがねー」と連呼するやうに皆の人々に聞こえ、笑ひながら聞耳を立てた人もあった。この悲鳴は二十分ばかりの後に、いつしか声量も細り、叫びも間欠的になり、遂には終息したので、虐待者が赦して立去ったと思はれた。

 然るに翌朝、河に犬の溺死体が流れて居るとて子供が騒ぐから出て見ると、首を縄で括り縄の先端には四、五貫の石がつけてあった。これによって、前夜の犬の悲鳴は、溺死から免るべく首だけ出して死力を盡して泳ぎながらの悲鳴であったことゝ知って哀れに思った。
 犬の悲鳴の「嫌だがねー」と聞こへたのは、人に哀願を乞ふ為の全精神を籠めた自然の声で、かゝる場合には人も動物も区別はなく、謂(いわ)ゆる霊犀(れいさい)相通ずると云ふものであらう。本文のわなに掛かった狐の悲鳴も、この理法であったかも知れぬ。この事は人及び動物の精神なるものゝ力の玄妙たることが推知せられるわけだ。

清風道人

カテゴリ:生類の霊異
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