日本古学アカデミー

#00573 2019.1.11
生類の霊異(6) -猫(解説)-

 


 動物の妖怪に関する説話にして、その歴史の最も新しきは猫である。世に猫の怪異談の現れしは漸く元禄時代のことにて、それ以前には絶えて聞くことが無いから、或る人は猫の怪異的伝説を以て全然小説と断じ、彼(か)の世に膾炙(かいしゃ)した『佐賀怪猫伝』などをその証例に取り、徳川時代人の流布した猫股話の信を措(お)き難きを論弁した。
 然れども、猫属動物の性情や智能や、その動物磁気的な衝動力から考へて見る時は、昔人(せきじん)の伝へた猫の怪異談は、あながち荒唐無稽の附会説として全部を葬り去ることは出来ないやうである。

 猫は虎と同種源の獣で、共に動物磁気的魅力の所有者であるが、何れがその力が優れているかと云ふと、若きものは猫よりも虎に於て優れ、老大のものは虎よりも猫が優れて居るのは、猫が常に人類と接触してその智力と精神力とを練る機会が多いからであると見做(みな)される。
 支那には虎の妖異が多くして猫の妖異が少ないのは、人が虎を格外に畏怖して猫の妖異に心を奪はれぬ為であらう。

 猫の動物磁気の強盛なのは、夜陰によく実験が出来る。夜間外を歩むに、堀の上又は路傍の樹上などに猫あって、下を行く人を密かに窺ふ時などには、人をしてゾッと寒けを感じさせる。
 その衝く気は、猫の居所の高低には関係なく、概して人体の下方から冒し上るので、これは人間の気が人を衝く場合に、必ず頭上から被せるが如くに蔽ひ来るのと反対である。猫に限らず、獣の気の襲ひ来る時は必ず下方より冒し上る。

 猫の動物磁気に富めるは、黒毛と虎斑(とらふ)毛との二種にして、殊(こと)に前者に於て優れたところが見られる。黒猫がその長き尾を、半円形を描くが如くにして左右に振りながら、金晴(きんせい、晴眼)を凝らして高所に居る鼠を見詰める場合には、大抵の鼠は気を喪(うしな)ひ麻痺するが如くになって、自ずから猫の面前に墜落し来ること、彼の蟇の口に蚊蜂類の小動物が流れ込むが如くに吸はれ行くのと同じ状勢がある。 #0572【生類の霊異(5) -蟇(古人の記述)-】>>

 猫の狡智の一例を挙げよう。島根県安濃郡新田(にいた)の農民・田中某方の老猫(おいねこ)は、家人の不在時には、台所に於て箱膳を二個積み上げ、それを踏台にして食物戸棚の戸を開け、中の魚類を盗食したる後、戸を閉めて箱膳を元の如くに取り下ろして犯跡を隠蔽するの狡智を有して居た。
 同家では久しくこの事を知らずして、食物の屡々(しばしば)亡失するを、嫁の摘み食ひに係るものと猜察(せいさつ)し、嫁は永く冤罪に泣き居(おり)たのであったが、猫の盗食が一朝発覚するや、その家の老母は猫に対(むか)って人に物言ふが如くその老猫を譴(せ)め、因果を含めて暇(いとま)を与へたところ、その猫はこれを解したと見え、即日に出でゝ附近の山中に入り、再び戻ることなく、その後一年ばかりを経て、隣村の山中に於て野生生活を為しつゝあるのを元の飼主に見られたが、猫は旧主人に対して聊(いささ)か記憶を有せるさまを現したるも、遂には接近することを厭(いと)うて逃げ去ったと云ふ。

清風道人

カテゴリ:生類の霊異
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