日本古学アカデミー

#00486 2017.7.26
扶桑皇典(16) -産土神及び氏神・上-

 


 産土神とは、尾張の盧入姫(いおきのいりひめ)の誕生地の神社を宇夫須那(うぶすな)社といへるが如く(『尾張国風土記』)、その人の生まれたる地の神にて、即ち鎮守神を申せり。
 然れば、産土神は、その地勢・方角に従ひて、その霊も異なる故に、産物にも異なる物あり、人物にも容貌・言語・心志・気性などの同じからぬもあり。

 出雲国島根郡神埼の窟中(くっちゅう)には、仰ぎて視れば、乳房の形したる物ありて、水の滴る事絶えず。その乳房の形したる物は、左方の物、右方の物よりも大きなるが、この乳房の物に感じてか、この浦の女人は、皆左の方の乳房の大きなりといひ(『大社記』)、また相模国の鎌倉権五郎(平景正)の墓辺にある池の蛙と、権五郎の鏃(やじり)を洗ひたりといふ河の黄顙魚(ぎぎ)とは、皆片目なりといひ、また安房国(あわのくに)の或る村には、いかなる米種を蒔きても、悉く赤米と化(な)るといへり(『甲子夜話』)。

 また、氏神とは、諸家の祖先の神をいふ。例へば、藤原氏の氏神を春日明神といひ、橘氏の氏神を梅宮といふが如し。春日明神は神代の神なれど、梅宮は橘諸兄(たちばなのもろえ)公を祀れり。諸兄公は、初めて橘といふ姓を賜りたる人にて、橘氏の祖たればなり。
 然れば、産土神と氏神とは固より同じからねど、これを今は区別せずして、うちまかせて産土神と称して氏神の事ともし、氏神と称して産土神の事ともせるが、これもやゝ古くよりの事にて、後花園天皇の文安四年の頃書きたる書に、「予(よ)は泉州堺の南に生まれたる故に、住吉は即ち氏神なり」とあり(『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』)。

 然るに、産土神・氏神を、かく区別せぬ如くなりしには、二説あり。甲説には、中世に、古来諸氏の家々に祀りし氏神を、その地の鎮守の社に合祀せしより混同せりといひ、乙説には、氏神とは、やがて産土神のことなり、産土神は、居市居村の地主の大神にして、その地にその諸氏を生まれしめ給ふ故に、氏神ともいひ、その諸氏の人を氏子とも呼ぶなりといへり。この説は六人部是香(むとべよしか)の説にて、極めて妥当なれば、今こゝにはその説に従ひて、産土神をも氏神として記述せり。

 氏神は、その地に生ずる物は、産物も人物も、皆その御心よりの事なれば、その物を愛し給ふは固よりの事なるが、人はまた特に愛し給へば、常に氏子の上には、事無かれかしと思召(おぼしめ)す事なり。 #0139【『仙境異聞』の研究(4) -産土神のこと-】>>
 然るは、孝謙天皇の天平勝宝(てんぴょうしょうほう)七年三月の、宇佐八幡の神勅にも、「もし我が氏子の中に、一人も愁嘆する者あらば、我は社を出で去りて虚空に住まん。然る時は、天下に種々の灾(わざわい)起こらん」と宣(のたま)ひし程なれば(『宇佐託宣集』)、この神勅を伝へ聞かん程の人は、氏神の御心は知らるゝなるべし。

 また、後一条天皇の御時、春日の社司・中臣信清(なかとみののぶきよ)といひし人は、常に氏神の氏子を愛し給ふといふ事を聞き知りたる間(ほど)、或る時、子の重病にて死なんとせしに、悲嘆の余りに神前に参りて、神に不足を申し上げて、「神は、予(かね)ては氏子の一人は千金にも易(か)へずと宣へりとこそ承りて在りしに、今は何とて氏子の一人を捨てさせ給ふぞ」と、泣く泣く口説き申しゝに、忽ち傍(そば)に居(おり)たる巫女に神憑(かむがかり)ありて、「我が氏子を思ふ事は、汝のその子を思ふにも優りてあるぞ」と告げさせ給ひたり(『長谷寺験記』)。

 氏神は、かくまで氏子を恵み給へば、氏子の、我が氏神を措きて他の神に祈願するなどは、氏神は、御心悪く覚す事なるべし。
 昔時、藤原重澄といひし人は、稲荷大明神の氏子なりしに、平生より賀茂大神を信仰せし間(ほど)、大願の事ありとて、賀茂の社司をかたらひて大願成就の祈願を為させて在りしに、その社司、祈願する間、不図微睡(まどろ)みたる夢に、稲荷明神よりの御使ありて、賀茂明神に申さるゝには、「重澄の所望は所望の儘に許さる可らず。重澄は我が膝元にて生まれながら、我を忘れたる者なり。かゝる者は決して許さる可らず」とて、何事か度々御問答ありし末、「然らば、この度は所望を遂げさせずして、思ひ知らせて後にこそ、兎も角も計らはめ」とて、御使は還りたりと見しかば、大いに驚きて、急にその事を重澄に告げたるに、重澄もまた驚きて、直ちに稲荷明神に参りて、種々に詫辞(わびごと)を申し述べて、祈願の事をも聞こえ奉りて退去せしに、その年には成就せざりしかど、自然に所望の事も調(ととの)ひたりといふ(『古今著問集』)。

 然れば、物の道理を弁へたる者は、僧法師もその心ばへを説きて、「何事の祈願にても、祈願あらば、まずその地の鎮守に祈りて後にこそ、他の神社にも祈るべき事なるに、当所の鎮守本尊には極めて不法懈怠(けたい)にて、他所の霊仏霊所に参詣するは、罰は蒙るとも利益は有る可らず」といへり(『塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう』)。 #0047【祈りのメカニズム(6)】>>

清風道人

カテゴリ:扶桑皇典
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