日本古学アカデミー

#00457 2017.1.27
無病長生法(1) -総論-

 


(清風道人云、『無病長生法』の著者である川合清丸大人は、因幡国・太一垣神社の神職であった父親の影響もあって幼少から神道を学び、同神社の社掌宮司、更に大神山(おおがみやま)神社の権宮司を務められましたが、京都、大阪、東京等へ遊学した際、日本人の信仰心や道徳心の荒廃した風潮を目の当たりにし、これをきっかけに神道だけでなく儒教、仏教、キリスト教等についても広く学び、神道・禅・儒学を融合して日本の国教を確立しようとした思想家でした。
 その清丸大人は明治の仙人・河野至道寿人にも師事し、一週間に亘って至道寿人より仙道修練の法を伝習して、その根本法を通俗的に編集されたのがこの『無病長生法』ですが、『至道物語』には、至道寿人がある門人に相伝厳禁の道術を伝えた後、葛城山で大寒の水行を修せられていた時、どこからともなく師・山中照道寿真が現れ、「汝は仙家の禁戒を守らず、かつて伝えたる術をみだりに人に漏らしたるは以ての外なり」として、至道寿人の行動の逐一をまるで見ていたかのように指摘して叱責され、五十日間の謹慎を申し付けられたことが見え、この『無病長生法』中にも本来は門外不出の伝法の一端が含まれているものと拝察されます。 #0456【『本朝神仙記伝』の研究(74) -河野至道寿人-】>> )

 無病長生の法たる、決して怪しむことにあらず、目の子算用の道理なり。余(よ、川合清丸大人)は孰(いず)れの人にもよく解り、孰れの人にもよく行はるゝやうにこの法を伝へむと思ふが故に、極めて簡易明白に説き明かさむ。
 それは一口に申さば、一切諸病の因(よ)りて生ずる原因を究めて、その原因の当所に於て早くその病根を断ち切るの法なり。一切諸病の病根をサッパリと截断(せつだん)し尽くさば、病の生ずべきやう無し。病無ければ生命の逝くべき機会無きが故に、自ずから銘々享け得たる命数を全ふせむこと、よく知られたる道理なり。 #0263【『幽界物語』の研究(33) -寿命について-】>>
 且つその上に、一切生類の生命の根本の直下に於て、十分に栄養発達の道を修むるが故に、元気充実して精神快活たり。これを要するに、内には元気を栄養して以て精神を快活にし、外には病根を截断して以て命根を堅牢にす。かくの如くにしては、無病長生を欲せざるも豈(あに)得べけむや。請ふ、病根を截断する法より述べむ。

 抑々(そもそも)病の物たる千状万態、得て名付くべからざると雖(いえど)も、その因りて生ずる所の原因を推し究むる時は、身心の二つに過ぎず。その身より生ずるものは、食物の停滞不消化より発するあり、気血の不循環より発するあり、風寒暑湿の外部より発するあり、その心より生ずるものは精神の鬱屈煩悩より発するあり、これのみ。
 この内外二種の病根が、種々様々に因縁繋累(けいるい)して、終には千状万態、得て名付くべからざるに至る。その名付くべからざるに至りては、人の生命を容易に奪ひ去ること、恰(あたか)も春風の落花を吹くが如し。耆婆扁鵲(きばへんじゃく)を呼び起こし、華陀景仲(かだけいちゅう)を迎へ至るも、終に救ふべからず。

 譬へば、一星の火の、初めは指頭にて押し消さるゝも、これを捨て置きて、木これを助け、風これを煽(さかん)にするに至りては、火消しもポンプも向ひ近付くべからず。終に名邑大都を挙げて一掃して、焦土と化し終るが如し。目も当てられぬ有様なり。
 仙客は常にこれを憂ひて、猶(なお)一星火の時に一指頭にて押し消すが如く、その病の原因の時に於て、一つ一つ法を以てこれを対治し、一切の病根を截断し尽くして、永く身心の繋累(けいるい)を絶つ。その大綱、以下の如し。

 第一を素食法と云ふ。この法を修し得る時は、腹胃を壮健にしてよく食物を消化し、一切の飲食を悉(ことごと)く挙げて全身の滋養に供する故に、食物より生ずる所の病根をば、この法を以てその根本より截断す。

 第二を導引法と云ふ。この法を修し得る時は、よく気血を循環して、また淹滞(えんたい)澁着(じゅうちゃく)せしむること無し。故に気血より生ずる所の病根をば、この法を以てその根本より截断す。

 第三を灌水(かんすい)法と云ふ。この法を修し得る時は、毛孔を収縮し、皮膚を堅固にするに依りて、風寒暑湿等の外邪もまた冒すべきやう無し。故に外邪より生ずる所の病根をば、この法を以てその根本より截断す。

 第四を観念法と云ふ。この法を修し得る時は、人の精神を自在に運転遊戯せしむるに依りて、また鬱屈煩悩の覊絆(ほだし)無し。故に精神上より生ずる所の病根をば、この法を以てその根本より截断す。
 以上は所謂(いわゆる)一切の病根を断ち截(き)るの法なり。

 第五を吐納(とのう)法と云ふ。この法を修し得る時は、元気内に充実して、精神上に快活なるが故に、一切の諸病は三舎を避け、瘴癘(しょうれい)瘟疫(うんえき)等の気も寄りて付くべき手段無し。
 これ所謂生命の根本に於て十分の栄養発達を遂げしむるものなり。上の四法を修したる上に、またこの法を修し得れば、身体と気血と精神の三つのものが折り合いよく混和妙合して、少しも個々向き向きになるの弊(へい)無く、その安心気楽なること譬ふるに物無し。
 これを「真気が真形に帰して五臓六腑の諸神が応和歓楽す」と云ふ。こゝに至りて無病長生の能事(のうじ)終る。その細目即ち手を下す所の工夫の如きは、一つ一つ以下に詳明せむ。

清風道人

カテゴリ:無病長生法
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