日本古学アカデミー

#00390 2015.12.20
『本朝神仙記伝』の研究(8) -印南別嬢-

 


 印南別嬢(いなみのわけいらつめ)は、また播磨太郎姫(はりまおおいらひめ)とも称し、景行天皇の皇后にして日本武尊の御母に御座(おわし)ます。

 印南別嬢、同天皇の五十三年五月四日、播磨国高宮にて薨(こう)ぜさせ給ふ。即ち墓を日岡(ひのおか)に作りてこれを葬り奉らむとし、その屍(かばね)を挙げて印南川を渡れる時、大嵐、川下より吹き来りて、その屍を川中に纏入(まきい)れ畢(おわ)りぬ。依りてこれを川中に求覓(まぎもと)めしかども、遂に得ること能(あた)はずして、唯一つの匣(はこ)と褶(ひれ)とを得しかば、即ちこの二つの物をかの墓に葬りて、その墓を褶墓(ひれはか)とは号(なづ)けゝるとぞ。

 然るに日本武尊の崩ぜさせ給へるは、景行天皇の三十三年にて在らせられしを、その御母と御座ますこの別嬢の薨去は同天皇の五十三年なれば、皇子尊の崩御よりは二十年後のことなり。
 かくて皇子尊は崩御の後、白鳥と化(な)りて遂に昇天し給へるを、御母命は印南川にて、大嵐の為にその屍を川中に纏入れられて行方知れず成り給ひき。

 また、皇子尊の御陵には空しき御衣のみありて、御屍は無かりしとあるを、御母命は屍失ひたるを以て、匣と褶とのみその墓に葬りたりとありて、その御有状(ありさま)の自ずからに甚(いと)よく相似たるは、御母命も所謂(いわゆる)水解(すいか)を得て、仙去し給へるものならむと云へり。

 厳夫云、本伝は『播磨風土記』と『景行天皇紀』とを参集し、『皇国神仙記』を以てその欠を補ひ、こゝに載せたり。冒頭より「その墓を褶墓とは号けゝるとぞ」と云へるまでは、専(もっぱ)ら『播磨風土記』の賀古郡日岡なる褶墓の条を採りて記したるが、その中に「また播磨太郎姫(はりまおおいらひめ)とも称す」と云ひ、「景行天皇の皇后にして日本武尊の御母に御座ます」と云ひ、「同天皇の五十三年五月四日に薨ぜさせ給ふ」と云へるが如きは、皆『景行天皇紀』に因りて記せる所なり。また「日本武尊の崩ぜさせ給へるは」と云へるより以下は、前の日本武尊の御伝と対照して余(よ)が補へる文と知るべし。
 かくて尸解のことは、日本武尊の御伝に於て詳しく説き明かしたれど、水解のことに就きては尚尽くさざる所あり。依りてこゝにこれを一言すべし。 #0389【『本朝神仙記伝』の研究(7) -日本武尊-】>>

 それは『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』の尸解の部に、水解せし者数人の伝を載せたり。今その二、三を挙げむに、まず王進賢と云うは、琅琊王衍(ろうやおうえん)と云へる人の女(むすめ)にてありけるとぞ。進賢、石勒(せきろく)が侵略に遭へる時、その侍女・名六と云へる者と共に黄河に赴き、自ら誓ひて辱めを受けずと、即ち身を川中に投じて死せり。時に嵩山(すうざん)の女仙・韓西華の出て遊ぶに遇ふ。見てこれを哀れみ二人を撫接し、救ふてこれを度し、外にはこれを沈没の如くに示せりとあり、即ちこれなり。
 今一人は段季正と云ふ。即ち『道跡霊仙記』に、「代郡の段季正は隠士なり。晩(おそ)く司馬季主に従ひて道を学べり。秦川(しんせん)を渡り水に溺れて死せり。蓋(けだ)し水解なり。今委羽山中に在りと見ゆ、即ちこれなり」とあり。

 これ等の伝に徴して考ふるに、王進賢及びその侍女・名六の如きは、難に遭ひて黄河に身を投じたるを、嵩山の女仙が見てこれを哀れみ、二人を救ひて仙去させたれど、外面には沈没して死せるものゝ如くに示したりと見え、また段季正は唯秦川を渡るとて溺れて死したるが、彼は水解したものである。その故は、今にも委羽山に在ると知れると云ふの意と聞こゆ。
 然れば段季正も、王進賢の如く或る仙人に救はれたるか、もしくは司馬季主に学びて自ずから尸解の道を得たるか、それは孰(いず)れともこれを知る由(よし)無けれど、確かに尸解したるに違ひ無きは、溺死の後も委羽山に在るにて明らかなりと云ふべし。

 これ等に依りて推量(おもいはか)るに、印南別嬢も、自ずからその道を得て在らせられて水解せられたるか、或は王進賢の如く他の神仙より水解させ参らせたるか、それは何とも知る由無けれど、印南川にて、俄かなる大嵐のためにその屍、川中に纏入られ給へるまゝにて、遂に得ること能はざりしは、実に矢野(玄道)翁の説の如く、水解せられたるは今更に云ふも待たざることなるべし。

(清風道人云、尸解仙の尸を解くという現象が神仙の幽助によってなされることを思えば、この時の大嵐は、印南別嬢の水解を達成するために発生したと考えるべきでしょう。 #0226【尸解の玄理(5) -本真の練蛻-】>> #0268【『幽界物語』の研究(38) -自然現象の幽理-】>>
 なお日本武尊の妻・弟橘姫命も、自らが犠牲となって夫尊の天業を補佐された大功により、水解の道を得られたものと拝察されます。 #0040【魂と心の関係(2)】>> )

清風道人

カテゴリ:『本朝神仙記伝』の研究
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