日本古学アカデミー

#00347 2015.4.03
『異境備忘録』の研究(32) -山人界-

 


「四国の南溟(なんめい、南方の大海)に妹背二別島(いもせふたわけじま)と云ふあり。この島は余程大なる島にて四面浪(なみ)荒く、船の容易に至り難き所なり。船にて行く時は、雲の如くにこの島を見るまでは行かるゝなり。去る明治元年一月九日なりき。杉山僧正(そうしょう)の我とは親しくする故に、「妹背二別島にて今夜山人等の会議あり。足下(そっか、貴殿)一人伴ひ行きてその有状(ありさま)を見せ申さん」とて、九日の日暮れに伴はれて行きし事あり。この時、種々の山人を見たり。
 出席の山人には、日光山の大冠貴(だいかんき)僧正、杉山石麿(いわまろ)清定君(せいじょうくん)、大山常照(おおやまじょうしょう)清定君、高千穂岳の火雷(からい)僧正、彦山の退勝坊(たいしょうぼう)、剣山の金角(きんかく)僧正、朝鮮国の李意仙門(りいせんもん)、同国の易光(えきこう)仙門、来良(らいりょう)仙門、琉球の天風胤子(あまかぜたねこ)、地虬(つちみずち)胤子、蝦夷(えぞ)国のヤマトヲホヂミコ、エボツヒコミコ等云ふを始めて、この外(ほか)僧正の位置なる山人二百余人集会したる中に、天風胤子、ヤマトヲホヂミコの二人は当夜の会議長と見えたり。この二人の事を杉山僧正に問へば、「天風胤子はアマミキユ、シネリキユと云ふ神の眷属にて、綏靖(すいぜい)天皇(神武天皇の第三皇子で第二代天皇)十二年に入りし人なり。ヤマトヲホヂミコは孝霊天皇(第七代天皇)二年に入りし人」と聞けり。
 又、「この会議に来り給はざる貴人三名あり。これは来り給ふ事なし。その三名は筑紫国の産(うまれ)にて、○○○○○○○○大人(うし)、○○○○○○○○大人、○○○○○○○○大人なり。この三人は神武天皇即位二年に入山し、奇術を得て身に翼を生じ、天之日鷲命(あめのひわしのみこと)の命令を受けて天狗界を始めて開きし元祖なり。三人を合して天岐根押毘三柱神(あまきねおしひみはしらのかみ)とも称するなり」と云はれたり。又、「御三神の御名は現世の人に聞かす事を容易に許さず」と云へり。この会議の条は面白き事あれども秘事もあれば洩らしつ。
 さて、その夜の鷄鳴過ぎに至りて会議了(おわ)りて帰る。この一条には人間知り難き事の百分の一を洩らしたり。」『異境備忘録』

 山人界や愚賓界等の日本の山岳に属する幽境は、神武天皇の御宇二年に入山し、修行の結果、仙術を得て身に翼を生ずるに至った筑紫国の生まれの三柱の大人が天日鷲命の命を受けて開かれ、それ以前に地界に存在していた山人や愚賓に相当する霊威の人物が、現身(うつしみ)を以て、或いは尸解によって次第に編入され、その界の指揮統制に入ったのですが、これも幽顕分界(神人分離)という造化の変遷を受けて行われたもので、その結果、地球上における玄妙霊異の気運も極めて低下し、人寿も神代に比べて大幅に短縮され、神代から人代へと移行するに至ったのでした。 #0135【地球上の幽顕の組織定まる】>> #0168【神仙の存在について(6) -仙去の玄法-】>> #0177【「天孫降臨」の年代】>> #0188【神倭伊波礼毘古命の誕生】>>
 さて、上記の山人会議は定期的に開催されており、その会議において、上司の仙官からの指示が伝達され、それに付随した様々な協定事項や了解事項が決定され、人間界に対する幽政上の分担が定められるのでしょうが、「この一条には人間知り難き事の百分の一を洩らしたり」とあるように、人間界には漏らしてはならない重要事項が数多く存することが分かります。
 また、神集岳の高位の神仙である杉山清定君の分身が一山人僧正として岩間山仙境を主宰され、同じく神集岳の神仙である清浄利仙君が赤山仙境を主領され、或いは天岐根押毘三柱神の代命として神集岳系統の五王神が日本国の天狗を掌られるという事情等も、こうした幽政面から考えてもその必要性があってのことと思われます。 #0141【『仙境異聞』の研究(6) -寅吉の師・杉山僧正-】>> #0233【『幽界物語』の研究(3) -幸安の師・清浄利仙君-】>> #0329【『異境備忘録』の研究(14) -肉転仙の幽助-】>>

「杉山僧正は頭は白髪にして赤衣を着し、袴は大口に似て白色なるを穿(は)き、左右に従者二人、烏帽子(えぼし)を着し青衣を着、白袴を穿き黄なる足袋を履きて麻串を持ち、その傍に古鷲あり、背に山形の金色の付きて背の左右に立ち上がりたる毛のあり。
 円頭にて赤衣を着、長さ四尺(約12cm)ばかりの折烏帽子(おりえぼし)を冠とし、青袴にて黒の輻輪(ふくりん、中心から四方へいくつもの矢で支え作られている輪)を取りて白足袋を履き、太刀を佩(は)きたるは大山僧正なり。」『異境備忘録』

「杉山僧正の弟に杉山熙道(きどう)僧正と云へるあり、かの界の内にては二杉熙道君と云へり。この僧正には白石左司馬、水上時馬、坂田義平、吉永金九郎等云へる人の付き添ひたり。白石左司馬はこの界の名にて、現名は信田豊前と云ひし人なり。水上以下は現名にて、幽名を水上時馬は白石霊碧、坂田義平は白石張鉄、吉永金九郎は白石野丈と云ひて、如何(いか)なる事か皆白石と名乗りたり。二杉熙道僧正も白石熙道君とも云へり。 #0339【『異境備忘録』の研究(24) -勲功を立てる-】>>
 この熙道君、不二山(ふじさん)に在りし時は大山日石(おおやまにっせき)と云ひしを、後には日字の上にノを加へて白石とし、それを名字にせられしとぞ。又杉山僧正の、寅吉に日石と云ふ名を付けられたり。日石と云ふは太陽中の物を云ふとぞ。この界へ支那より来り入れる人にも炎石左郎、血石左郎と云へるあり。」『異境備忘録』

「杉山僧正、高山僧正、大山僧正等の山人に伴はれて諸国の見馴れぬ所を見物するは殊(こと)の外面白く、行く時は耳に風当たりて切るゝ様に思はるれど、蝙蝠(こうもり)の皮にて度々湯をつけて押す時はその痛みも止まるなり。」『異境備忘録』 #0332【『異境備忘録』の研究(17) -水位先生の幽顕往来-】>>

 上記の「杉山僧正の我とは親しくする故に」や「殊の外面白く」というあたりに、杉山僧正が水位先生を親しく導かれたことが窺われますが、それだけに明治八年の四月一日、川丹先生に伴われて神集岳中の杉山清定君の宮闕(きゅうけつ)に上殿し、その御本身に拝謁された際にはさぞかし面食らわれたものと拝察されます。  #0328【『異境備忘録』の研究(13) -杉山清定君-】>>

「杉山僧正を天狗と余(よ)が呼びし時に、僧正が「我は天狗の主領にして、天狗には数多(あまた)通りあれども我が界にては鷲・鳶の年経たるを天狗と呼びて、人間界より来れるは皆山人と呼ぶなり。我、嘉永年間までは杉山僧正と呼びしかど故ありて杉山清定(せいじょう)と改めたり」と云へり。」『異境備忘録』

 水位先生には一種の筆記の癖があり、地界の幽境に属する山人や愚賓等を大雑把に「天狗」と記されていますので、今後の記事についても留意頂きます様お願い申し上げます。 #0137【『仙境異聞』の研究(2) -山人・天狗・仙人とは?-】>> #0235【『幽界物語』の研究(5) -幽界の位階-】>> #0236【『幽界物語』の研究(6) -愚賓・鬼とは?-】>>

清風道人

カテゴリ:『異境備忘録』の研究
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