日本古学アカデミー

#00296 2014.6.1
怪異実話(12) -供え物のこと-

 


『奇談雑史』( #0285【怪異実話(1) -紀州八木山の里の山神祭のこと-】>> )より(現代語訳:清風道人)

 江戸のある所に八幡宮の別当寺があり、昔より毎日神酒を一升ずつ神前に供え奉る古例でしたが、別当の僧が吝嗇(りんしょく、物惜しみ)な者で、「毎日一升ずつ奉る神酒を半分にして五合ずつ奉れば、一年もすれば多分の得になる」として、一日に五合ずつ供えることにしました。
 かくしてそれより後は参詣する人も半減し、奉納物・賽銭なども悉(ことごと)く半減して、万事に足らず貧しくなりました。

 別当の僧は甚(はなは)だ驚き、神意を畏(かしこ)んで己の過ちを悔やみ、神にお詫びを申し上げ、元のように毎日一升ずつ神酒を供えたところ、参詣人の元のように多くなり、奉納物・賽銭も多くなり、万(よろず)に事足りて賑わうこととなりました。
 そのような訳で、神の供え物を減少することは非礼の至りであり、神事の倹約は下人の業(わざ)であります。

(清風道人云、多くの国学者が質素な生活をされていたことはよく知られていますが、本居宣長先生は、「倹約することは大切だが、神社や先祖の祭りは盛大に行うべきである。神事祭礼に物入りが多いのは無駄のようだが、粗略に扱うのは非事(ひがごと)であり、自分の生活を倹約してでも神祭りや先祖の供養は盛大にすべきである。また、神事に風流俳優などを行い、あるいは酒を飲み、楽しみ遊ぶのを無益のことと思うのも、大いに非事である。神に物を供して祭るのみならず、人も同じく飲食し、面白く賑やかに楽しみ遊ぶことを神は悦(よろこ)び給うのである」と主張されています。
 神事祭礼や直会(なおらい)には清祓の効験があり、それによって陰気を払拭して陽気が溢れると運気も自然に上昇しますので、神祭や祖霊祭を盛大に行うことは「笑う門には福来る」を実現する吉事であり、幽理に適っているといえるでしょう。 #0044【祈りのメカニズム(4)】>>
 神伝にも、千早振る神代の昔、天宇受売命(あめのうずめのみこと)の舞によって八百万神が大歓声をあげ、高天原がどよめいたことにより、天石屋に隠れ給いし天照大御神が出顕されるという大吉事が起こったことが伝えられています。 #0080【神楽の起源】>> #0081【天照大御神の復活】>> )

 下総国・埴生(はぶ)郡・松崎村に、菊右衛門という人がおり、またその友人に喜和衛門という人がいました。両人共に酒を好み、常に互いに睦まじく酒を呑んでいましたが、菊右衛門は病にかかって先に死んでしまいました。

 それより三年が過ぎ、喜和衛門も病の床に伏すことになったのですが、ある日、床の内で何か他人と応対するように長々と話をするように聞こえたため、その人の息子が怪しんで父の枕元に行き、「何を長々と独り言を仰られているのですか」と尋ねたところ、父は「たった今、我と仲睦まじかった友人の菊右衛門が来て、「我が身は三年前にこの世を罷(まか)り、今我が住む冥土はとても楽しい所であるから汝を迎えに来たのだ」として頻(しき)りに勧めるので、「我はまだ酒が呑みたいので、今この世を去って冥土に行くという心はない」と答えたのだが、「冥土にも酒や肴はあり、事に欠くことはない。しかしそれほど酒が呑みたいという心はない」と云って姿が消えてしまった」と語りました。

 息子は不思議に思い、やがて菊右衛門の家に行ってそのことを語ったところ、その家の息子が答えて、「我が父・菊右衛門は三年前に身罷りましたが、常に酒を好んでいたため、最期の時に遺言して、「我が死んだら、(旧暦)七月の盆棚を結ぶ必要はない。ただ酒を手(た)向けてほしい。我の頼みはこれだけだ」と云い遺したため、父が死んで後は位牌の前に酒と肴を時々供えるために、冥土に供え物が届いてそのように云ったのでしょう」と語りました。
 かくして喜和衛門も身罷りましたが、その息子も位牌の前に、怠りなく酒と肴を供えたということで、人の子たる者は、このように父母の霊には丁重に手向けるべきでありましょう。

(清風道人云、『仙境異聞』中で高山寅吉が「(仙境では)自由自在のため、食物はいつという訳ではなく、食べたい物は速やかに前に来るので、それを食べます。とくに十三天狗は毎日村々より膳が供えられますので、それを私たち弟子まで十分食べることができます。しかし現世の供え物は減ることなくそのままで、山人の方では食べています。もし不思議に思われるのなら、私が仙境へ行った後に、何か食べさせたいと思う物を棚へ供え置いてみて下さい。また後に来た時に、その礼を申し上げます」と語っているように、神前や霊前に供えた物は速やかにそのままの姿で幽境に出現することが伝えられています。 #0138【『仙境異聞』の研究(3) -山人の霊徳-】>>
 ならば、供え物は真心を込めて奉るべきであり、乱雑に供えたり残り物を用いるなどということは慎むべきでしょう。)

清風道人

カテゴリ:怪異実話
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