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#00514 2018.1.14
扶桑皇典(44) -神に習ふべし・下-
 
 
 また、神たちは孝心深くおはしまして、よく御祖(みおや)の神を斎(いわ)ひ給へり。天照大神は、御父神・伊邪那岐命の賜ひし八尺(やさか)の勾玉を御棚上に居(す)ゑさせ給ひて、御倉棚神(みくらたなのかみ)として祀らせ給ひしは、御孝心の程さへ見えて、畏(かしこ)しとも畏し。然れば、先輩の説に、今、人家に神棚といふがあるも、この御倉棚に倣ひ奉りたるにはあらじかともいへり。
 また、天照大御神は、今年の新穀を以て天津神たちを祭らせ給ひ、天稚彦(あめのわかひこ)といふ神も新嘗せし事なれば、神たちもまた、御祖の神を祭らせ給ふ事なり。然れば、本邦の人の、神を敬ひ、祖先を崇むる風儀は、遠く神代よりの事なるを知るべきなり。 #0125【第二の神使、天若日子降る】>> #0126【返矢の神術】>>

 また、神たちは仁慈におはします。伊邪那岐命は、黄泉国の妖魅に追はれて逃げさせ給ふ途にても、蒼生(あおひとくさ、人類)の事を忘れ給はで、桃の実を以て待ち撃ち給ひし時、妖魅どもの逃げしを御覧じて、桃に向ひて「蒼生の、憂き瀬に落ちて苦しまん時にも、かく助けよ」と宣(のたま)ひ、天照大御神は、五穀の種を得給ひては、「蒼生の、食ひて活くべき物ぞ」と宣ひて、天長田(あめのながた)・天狭田(あめのさなだ)に植ゑしめ給ひ、素戔嗚尊は、御子たちと、蒼生の為にとて八十木種を諸所に植ゑさせ給ひ、また大己貴神と少彦名神とは、蒼生の為に、病を療(おさ)むる法を定めさせ給ひ、鳥獣昆虫の災を祓はせん為に、禁厭(まじない)の法をも定めさせ給ひ、また温泉の人身に効あるをも教へ給ひたり。また大己貴神は、傷つける兎をも哀れみ給ひて、その傷を治させ給ひし事さへにあり。 #0074【衣食の道、開かれる】>> #0084【五十猛神の功業】>> #0089【桃の神秘】>> #0102【稲羽の白兎の伝承(1)】>> #0117【マジナヒの玄理】>>

 殊に天照大御神の御仁慈(いつくしみ)は、藤原相通夫妻の諸人を誑惑せるを咎めさせ給ひて、大神宮にも「天皇にも不忠の事なり」とさへ宣はせて、その徒(ともがら)十余人を伊豆国に流さしめ給ひしに、僅かに八ヶ月ばかりにてその罪を宥(なだ)めさせ給ひたり。この「大御心の程こそ畏し」など申さんも世の常なり。 #0481【扶桑皇典(11) -幽政の神廷・上-】>>
 また、後朱雀天皇の長暦三年七月十六日、大中臣佐国(おおなかとみすけくに)の流罪を宥めさせ給ひし御託宣には、「天下四方の人民(ひとくさ)は皆、皇大神宮の御宝なり。その中にも、大中臣並びに荒木田の氏は、皇大神宮、天宮より天降り坐しゝ時より、氏を継ぎ門を継ぎて、代々に仕へ奉り来りし補佐の神民にて、往代より重科に処せられざる者なり。然るに、去年、遷宮の時、大中臣佐国怠慢ありて、重科に処せられて配流せらるれど、早く召還すべし」との事にて、既に三重郡河後(かわじり)の郷(さと)まで出でたりしを、勅定を差して召還して、元の如くにて置かせ給ひたり(『大神宮雑事記』『歴朝神異例』)。

 また、神たちは勇武におはします。素戔嗚尊の天上に昇らせ給ひし時の御勢は、山川悉(ことごと)く動(どよ)み、国土皆震へりともいひ、天照大御神のその御勢に聞き驚かして、待ち問はせ給ひし時には、御髪(みぎし)を結びて御鬘(みずら)とし、御裳(みも)を結びて御袴とし、八坂瓊(やさかに)の勾玉の五百筒(いほつ)の御統(みすまる)玉を、左右の御鬘にも、左右の御手にも纏(ま)き給ひて、御背(みそびら)には千箭(ちのり)の靫(ゆぎ)と五百箭(いほのり)の靫とを負ひ、御臂(みただむき)には稜威(いつ)の高鞆(たかとも)を取り佩(は)かして、弓腹(ゆはず)振り立てゝ、堅庭(かたには)は向股(むかもも)に踏みなづみ、沫雪の如くに蹴散らかして、稜威の男建(おたけ)び奮はして、待ち問はせ給ひたりといひ、また武甕雷神(たけみかづちのかみ)は、剣上に居(おり)て大国主神と問答し給ひ、建御名方神(たけみなかたのかみ)は、千引石(ちびきいわ)を挙げて武甕雷神を咎め給ひき。 #0474【扶桑皇典(4) -天地開闢・中-】>> #0477【扶桑皇典(7) -天孫の降臨・上-】>>

 また、神たちは忍耐の力に富みておはします。大己貴神は、八十神(やそがみ)の侮辱を忍びて、袋を負へる従者と為りても随行し給ひ、素戔嗚尊の、蛇の室屋・蜂の室屋に入れ給ひ、野中にして火を周辺に放ち給ひしにも屈し給はで、その難を免れ給ひき。 #0134【大国主神に神習ふ】>>
 また、神たちは言語の美しきを愛で給へり。天照大御神は、天磐屋戸(あめのいわやど)に閉じ籠らせ給ひし時、天児屋命(あめのこやねのみこと)の称辞(たたえごと)して祈り啓(もう)す詞(ことば)の美しきを聞食(きこしめ)して、「この頃、人、多(さわ)に祈り申しゝかど、詞の、かく美しきはあらず」と宣ひて、磐戸を細目に開けて見そなはしゝ事あり。

 因みにいふ。本邦人の言語は、祖先の神より伝へ来(きた)る言語にて、祖先の神は、開闢以来、天神地祇の御言を伝へ来て、子孫に遺したるものなれば、発音の単直にして清朗なる、遺辞の分明にして微妙なる、外国の人の言語の、朦朧たる混濁の音、圂雑紆曲(こんざつうきょく)せる声の如くならず。
 且つ遺辞の上には、その流暢を調(ととの)ふるに、別に縁語の法あり、枕詞の法ありて、全く外国には聞えざる、一種の語法なり。神は言語の美しきを愛で給ふが為に、神国には特にこの法あるなり。

 加之(しかのみならず)、本邦の言は神の御言なるにや、鳥獣さへによく聞き知るといふ。鳥獣には、もと感詞をのみ用ゐさせて在るに、宗祇法師は丹後の山中にて、山神の、種々の鳥獣に物を命ぜられしに、獣類は皆人語を以て答へしを聞きたりといへり(『宗祇諸国物語』)。
 漢土にても、鳥獣の言を解せし人ありて、公治長(こうやちょう)は鳥語を解し、介葛盧(かいかつろ)は牛語を解すと、何くれの書どもに記したれど、これは皆感詞の上にて、その意を推量するにてこそあらめ。宗祇の聞きしは、鳥獣の、山神の言を解せしのみならず、己も、人語を以て答へしなり。

 鳥獣は今も稀には人語を為す事ありて、文化十一年、夏の頃、或る山中にて、猿の、人語を為して、「今年は疫病はやりて、人多く死ぬべき故に、今年は疾(と)く過ぎて、来年になれる状(さま)にて、門松を立て、雑煮の餅を食へば免る」といへりとて、然(しか)為し人も数多(あまた)ありきといへり(『梅園日記』)。
 猿の人語せしは古くも聞こえて、皇極天皇の三年六月、或る人、三輪山を行きて、猿の昼寝したるを見て、その腕を捕らへしに、猿は驚きもせずて、眼を塞ぎたる儘にて、一首の歌を詠みたる事もあり(『日本書紀』)。

 また、天正十九年、豊後にて、大友氏に豊太閤(ほうたいこう)の賜ひし龍神といふ名馬の、「世は今ばかりぞ」と言ひたりといへるが(『朝野雑載(ちょうやざっさい)』)、馬の人語は、延徳元年三月二十五日にも近江の栗本郡にてせし事あり(『御伽婢子(おとぎぼうこ)』)、天保九年四月八日にも東海道の藤沢駅にてせし事あり(『想山著聞集』)。
 また、犬の人語をせし事もあり(『因果物語』)。犬の人語は漢土にもありて、犬と猫と、人語を以て問答せし事もあり(『天中記』)。猫はまた人語をよくする物なり。天保六年の秋の頃、江戸牛込榎町の羽鳥(はとり)何某(なにがし)の家の飼い猫の、隣家の猫と人語を以て何事か語りし事あり。
 また、寛政七年の春の頃には、牛込山伏町の或る寺の猫、鳩を取り損なひて、「残念なり」と叫びしを、寺僧、不図聞きて、大いに驚き、逃げんとするを捕らへて、「汝、既に人語する上は、我が言ふ事も聞き分くべし。化けて人を誑かす事もあるべし、真直(まなお)に答ふべし。さもなくば刺し殺すべし」とて、小柄の刀を刺し付けたれば、猫の言ふには、「猫は十年を経れば人語を聞き知り、十四、五年も経れば妖を為すべし」と答へたりしに、直ちに行方も知れず為れりといふ(『想山著聞集』)。

 鸚鵡(おうむ)の人語を為すは常の事なれど、漢土にては、雀の人語を為したるをいへり(『五雑爼(ござっそ)』)。然れば、勤学院の雀の、蒙求を囀(さえず)りたりといふも、全く虚偽とのみは定むまじきなり。また、島田幸安の説には、狼、熊、猿、狒々、猪、兎、山鼠などはよく人語を解すといへり(『幽界物語』)。 #0245【『幽界物語』の研究(15) -幽界の動植物-】>>
 矢野玄道翁の説に、万国の人・物共に、神仙の境に入りては、その言語も一つにして違ふ事なし。万国言語を異にするは、凡俗の間のみと見えたりといへり(『古史伝』)。然れば、神語を伝へたる日本語は、よく鳥獣の類も聞き得る事なるべし。

 また、この神語には種々の奇異なる事ありて、これを言霊(ことだま)といふ。言霊とは、言語に神の憑かりて、不可思議なる霊異を示すをいふ。例へば、吉事をいへば吉事に遇ひ、凶事をいへば凶事に遇ふ類なり。 #0042【言葉のもつ力】>> #0257【『幽界物語』の研究(27) -幽境に通じる神拝の詞-】>> #0299【怪異実話(15) -参州磯丸の歌のこと-】>>
 順徳天皇の承久元年、鎌倉の実朝将軍、鶴岡(八幡宮)の社参に、髪を梳(くしけず)りし時、その落髪を拾ひて傍人に与へて、「これは吾が身の記念なり」といひ、また一首の歌をも詠みて、「出でゝ去なば主なき宿となりぬとも軒端(のきば)の梅よ我を忘るな」といひしが(『吾妻鏡』)、果たして社頭にて公曉(くぎょう)法師に殺されて、落髪は記念の物と為り、歌は予言の如くにて、主なき宿と為りはてたり。

 また、光厳(こうごん)天皇の正慶(しょうけい)二年二月、鎌倉勢の、楠木正成の千剣破城(千早城)を囲みて在りしに、攻めあぐみしかば、遠巻にて休息し、連歌などして慰みたりしに、長崎師宗の発句に「咲きかけて勝つ色見せよ山桜」といひしを、工藤次郎右衛門尉、「嵐や花の敵なるらん」と付けし間(ほど)、諸人指弾して、「嵐を敵に譬へたるは、不吉の詞なり、今度の戦ははかばかしかるまじ」と評せしが、果たして五月二十二日には、北条高時も自害するに至れり(『太平記』)。
 また、正親町(おおぎまち)天皇の天正四年、南蛮国より初めて大砲といふ物を送り来りしかば、豊後の大友宗麟(そうりん)、大いに悦びて、「国崩(くにくずし)」といふ名を付けて賞玩せし程に、諸人眉を顰(ひそ)めて、「不吉の名なり」と沙汰せしが、果たして幾程もなく国崩れて、大友氏は滅びたり(『豊薩(ほうさつ)軍記』)。

 然れば、本邦の言には、「時と所に因りて、言ふと言はぬ」とあり。また、言を代へていふ事もあり。例へば、婚礼には「去る」「離る」といふ言を忌み、船中にては「沈む」「溺る」といふ言を忌む類、また言を代ふるは、「蛇」を夜間には「長虫」といひ、「酢」を夜間には「阿麻里」といひ、「塩」を夜間には「波の花」といひ、「燈心」を夜間には「痩男」といふ類の如し。然れば、もし言ふまじき言を発したる時には、言ひ直す事もあり。

 また、家建、田植など、総て物の祝ひには、吉事を述べて祝ひ、年の始めに、万歳の家毎に来て寿詞(よごと)を唱ふるも、古風の遺れるなり。かの源義経の、平家を追ひて阿波国に至り、「勝浦」といふ地名を聞きて、小躍りして悦び勇みしも、言占(ことうら)の兆を思ひてなり。
 然ればまた、人名に吉凶を説き、事物の言に就きて将来の吉凶を占ふも、皆言霊を思へばなり。この故に、本邦の人は、人語のみにはあらず、鳥獣の声にさへ、耳を峙(そばだ)つる事もあるなり。

 また、外国人は本邦人の言語に敬語の多きを訝りて、羅馬(ローマ)教師の、法皇に送りし文書にもその事を記して、「日本の言語は、一種壮(さか)んにして、且つ美なり。ラテン、ギリシャに優れる事疑ひなし。然れども、人々の対話中に、敬語といふ物あり。相対する人の品位に依りて、用ふる所、自ずから異なり。例へば、賤人の貴人に対する、若者の老人に対する、公務と私事とを語る、皆一様ならず。一語にして、貴人の口より発(い)ずる時は軽侮(けいぶ)の言にあらずと雖も、賤人・平人の口より発ずると、女人の口より発ずるとに依りて、語意を異にする事あり」などいへり(『日本西教史』)。

 敬語の国にあるは、特に国に尊敬すべき人の在りての故にて、特に尊敬すべき人無き国には、固より在るべきにあらねば、国民の敬語を呼ぶは、国性を呼ぶと同じければ、外国人の評に惑ひて、言語を疎かにすべからず。
 今日、一家にても、親・夫の子・婦に対する言もあり、子・婦の親・夫に対する言もあるは、君の民に対する言、民の君に対する言の、人家にも移りしにて、自然と国風と為りしなり。
 また、この敬語は、今日、日常の交際の上にも在りて、他人を呼ぶにも用ひらるゝは、自卑他尊は人の美徳にして、愛慕親睦の情を表するに、よく適へばなり。
 
 
 
清風道人
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