世の淫華を競ひ原理に疎き人は、己が肉眼に見えざるものを指して強(あなが)ちにこれを無き物に帰したれども、玄妙微細恍惚の中に散満して確かに有る物なるが故に、時ありて形を解き、神変自在なる霊物あるなり。故に尸解の法は必ずあるものなれば疑ふべからず。(宮地水位先生)